クルーズ年表

90年代英国アートを、社会やカルチャーと照らし合わせて辿る

  • late 1980s

    伝説の始まり

    YBAの胎動と、もう一つの物語

    ART

    ゴールドスミス・カレッジの指導者マイケル・クレイグ=マーティンの下で学んだダミアン・ハーストら若手アーティストが自主企画「フリーズ(Freeze)」展(1988)でアートシーンに登場する一方、ヘイワード・ギャラリーではアフリカ、アジア、カリブ系の作家に焦点を当てた画期的な展覧会「もう一つの物語(ジ・アザー・ストーリー)」(1989)が開催され、英国美術の多様性を示した。

    <span>伝説</span>の始まり

    CULTURE & SOCIETY

    失業率の上昇やエイズの流行といった課題を抱えていた保守党政権下の英国では、アシッドハウスがカルチャー全般を席巻。さらに、アシッドハウスとインディロックが融合したマッドチェスター、シューゲイザー、アシッドジャズといったムーヴメントも音楽界を騒がせた。

  • 1990

    新しい才能の胎動

    勢いを増す、YBA「現代医学」展

    ART

    「フリーズ」展の成功を受け、ダミアン・ハーストらが企画。使われなくなったビスケット工場「ビルディング・ワン(Building One)」を舞台に、より大規模なグループ展を開催。

    CULTURE & SOCIETY

    全国民から一律同額の税金を徴収する人頭税導入を受けて全国で抗議行動が起きる中、求心力を失ったマーガレット・サッチャーが首相を辞任。ジョン・メージャーが新たに首相に就任した。日本でも人気を誇ったコメディ番組『ミスター・ビーン(Mr. Bean)』の放映が始まったのもこの年で、主演のローワン・アトキンソンと番組を考案したのは、のちに映画界に進出して多数のヒット作を手掛けるリチャード・カーティス。

  • 1991

    衝撃
    アート界を走る

    アートシーンの表舞台への
    進出と衝撃的な始まり

    ART

    サーペンタイン・ギャラリーでの「ブロークン・イングリッシュ」展でYBAの作家たちが公的な場で発表する一方、コレクターのチャールズ・サーチがダミアン・ハーストにホルマリン漬けされたサメの作品《生者の心における死の物理的不可能性》の制作を依頼し、YBAへの注目が一気に高まる。そして、アニッシュ・カプーアが英国美術界の最高栄誉であるターナー賞受賞。この年からターナー賞の受賞者が50歳未満の作家に限定され、また候補者の作品がテート美術館で展示されるようになった。
    これ以降、ターナー賞は1990年代に台頭する新世代のアーティストやコンセプチュアル・アートの展開と結びつくようになっていった。

    CULTURE & SOCIETY

    90年代のダンス・カルチャーを牽引したロンドンのクラブ、ミニストリー・オブ・サウンドがオープンし、アート雑誌『フリーズ(Frieze)』、ファッション&カルチャー雑誌『デイズド&コンフューズド(Dazed & Confused)』(のちの『Dazed』)、ホームレスの人びとの自立をサポートする『ビッグ・イシュー』など、いずれも大きな影響力を持つことになる雑誌が相次いで創刊。他方でクイーンのフレディ・マーキュリーがエイズによる合併症で死去し(享年45歳)、社会に暗い影を落とした。

  • 1992

    巨匠の死と、
    新世代の台頭

    新世代の戴冠「ヤング・ブリティッシュ・ アーティスト I( Young British Artists I)」 展

    ART

    『アートフォーラム』にてマイケル・コリスがYBAという呼称を使用する一方、サーチ・ギャラリーでハーストの"サメ"が初公開され、社会現象に。この展覧会で「YBA」の名は不動のものとなる。同年、彼らに影響を与えた巨匠フランシス・ベーコンが死去し、世代交代を印象付けた。

    CULTURE & SOCIETY

    イングランドにおけるサッカーの一部リーグ、プレミア・リーグが開幕し(1992~93年シーズンはマンチェスター・ユナイテッドが優勝)、英国とアイルランドのミュージシャンを対象に、ジャンルを問わず良質のアルバムに贈られる音楽賞マーキュリー・プライズが創設される。プライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」が初代受賞作に。

  • 1993

    ”家”がアートに。
    ターナー賞受賞作となる

    レイチェル・ホワイトリード、
    《ハウス》でターナー賞受賞

    ART

    取り壊し予定の家屋をコンクリートで型取りした作品《ハウス》を発表。公共空間におけるアートのあり方を問い、物議を醸しながらも、女性として初めてターナー賞を受賞する。その後、ポップバンドKLF主宰のK財団が「今年のワースト・アーティスト」賞をホワイトリードに贈る。

    CULTURE & SOCIETY

    スウェードのブレット・アンダーソンが表紙を飾る音楽誌『セレクト』4月号に、“ブリットポップ”という言葉が初めて登場。UKロックの復権を唱える一方、ボーイズグループのテイク・ザットが3曲を全英チャート1位に送り込んでブレイクした。美の基準にも“ヘロイン・シック”と呼ばれる新たな流れが浮上し、スキニーなモデルが人気を集める。テート・ギャラリーの別館テート・セント・アイヴスの開館も話題に。

  • 1994

    UKカルチャー
    黄金期へ

    YBA、世界へ

    ART

    YBAのアーティストたちが、サーチ・ギャラリーでの展示をきっかけに、国際的な舞台へ進出。

    CULTURE & SOCIETY

    サード・アルバム「パークライフ」を発表したブラーの先導でブリットポップが本格化すると共に、新たに開設された海賊ラジオ局RinseFMがドラムンベースやUKガレージを発信し、ダンス・ミュージックにも新たな潮流が。一方で英国政府が刑事司法及び公共秩序法を制定し、レイヴ文化の取り締まりを始めた。また、同性愛者であることを公言していた映像作家デレク・ジャーマンがエイズで亡くなったこの年、ゲイ雑誌『アティチュード』が創刊されると共に、英国国教会が初めて女性の司祭の就任を認めた。

  • 1995

    アート界の寵児
    頂点へ

    ダミアン・ハースト、
    ターナー賞受賞

    ART

    ホルマリン漬けの牛と子牛の作品で、ついにダミアン・ハーストがターナー賞を受賞。この時代の英国アートシーンの隆盛を象徴する出来事となった。

    <span>アート界の寵児</span>、<br/>頂点へ

    CULTURE & SOCIETY

    ブライアン・イーノが起動音を手掛けたWindows 95が発売され、デジタル時代の幕が開けたこの年、話題を独占したのはブラーVSオアシス対決の激化。8月に同時にシングルをリリースして全英ナンバーワンの座を競い、ブリットポップ・ブームが過熱した。同時に、タブラ奏者/プロデューサーのタルヴィン・シがクラブ・イベント“アノーカ”を始め、アジア系英国人ミュージシャンたちによる独自のサウンドを世に送り出す。また、英国によるスコットランド侵害行為を批判した、アレクサンダー・マックイーンの「ハイランド・レイプ」コレクションが話題に。

  • 1996

    ポップカルチャー
    爆発

    多様化する表現

    ART

    サラ・ルーカスが目玉焼きを使ったセルフポートレートでジェンダー規範を問い、ヴォルフガング・ティルマンスが時代のユースカルチャーを写真に収める。ダグラス・ゴードンがターナー賞を受賞。

    <span>ポップカルチャー</span>の<br class="sp"/>爆発

    CULTURE & SOCIETY

    オアシスが2日間に25万人を集める野外コンサートを行なって変わらぬ人気を見せつけるが、スパイス・ガールズという新たなスターが出現。ファッション界ではアレキサンダー・マックイーンがジバンシィ、ジョン・ガリアーノがクリスチャン・ディオールのデザイナーに抜擢され、英国人が相次いでパリのオートクチュール・メゾンのクリエイティヴ・ディレクターに就任。映画「トレインスポッティング」も大ヒットして、英国発カルチャーが世界を席巻する。

  • 1997

    一大センセーション
    到来

    アート界の衝撃とカルチャーの交差

    ART

    ターナー賞の候補者が史上初めて全員女性となり、ジリアン・ウェアリングが受賞。そしてYBAを代表する展示となったロイヤル・アカデミーの「センセーション」展が社会現象となる一方、ジェレミー・デラーはアシッドハウスをブラスバンドで演奏する《アシッド・ブラス》を発表。英国の伝統とサブカルチャーが作品の中で交差した。

    CULTURE & SOCIETY

    香港の中国返還、ウェールズ公妃ダイアナの事故死に加えて、労働党による18年ぶりの政権奪還が英国社会に大きなインパクトを与え、新首相のトニー・ブレアは“クール・ブリタニア”の旗印の下に英国発のカルチャーの振興を国策に取り入れる。レディオヘッドの名盤「OK コンピューター」の発売、J・K・ローリング著のハリー・ポッター・シリーズ第一弾『賢者の石』の出版、異色の子供向けテレビ番組「テレタビーズ」の放送も注目を集める。

  • 1998

    物議を醸す
    アート
    の力

    クリス・オフィリ、ターナー賞受賞

    ART

    象の糞を使った聖母マリアの絵画で、クリス・オフィリがターナー賞を受賞。多様な文化的背景を持つアーティストの登場と、宗教や伝統をめぐる表現が再び大きな議論を呼んだ。

    <span>物議を醸す<br class="sp"/>アート</span>の力

    CULTURE & SOCIETY

    前年のポール・マッカートニーに続いてエルトン・ジョンがナイトの称号を授与され、のちにふたりの後を継いで英国を代表するアー
    ティストへと成長する、元テイク・ザットのロビー・ウィリアムスがシングル「ミレニアム」で初の全英ナンバーワンを獲得。他方、英国
    とアイルランドの間でベルファスト合意(聖金曜日協定)が結ばれ、長く続いた北アイルランド紛争に終止符が打たれた。英国で死刑
    が完全に廃止されたのもこの年。

  • 1999

    私のすべてがアートになる

    アートの多様性とターナー賞

    ART

    候補者の一人であったトレイシー・エミンが、精神的に不安定な状態で4日間過ごした自身のベッドを、コンドームや下着、空の酒瓶といったゴミと共にそのまま作品とした《マイ・ベッド》を「ターナー賞展」に出品し、論争を呼ぶ。一方、受賞者は、映像作家のスティーヴ・マックイーン。サイレント映画のスター、バスター・キートンへのオマージュ作品などでターナー賞を受賞。

    CULTURE & SOCIETY

    地方分権政策のもと、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドへの権限委譲に伴って独自の議会が創設され、新世紀到来を記念するプロジェクトの一環として、ロンドンにミレニアム・ドームとロンドン・アイが開業。そんなロンドンの美しい街並みを背景にした映画「ノッティングヒルの恋人」が大ヒットし、スパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムスとサッカー選手デヴィッド・ベッカムの結婚がゴシップ欄を騒がせた。

  • 2000

    テート・モダン開館

    時代を象徴するアートと、新たな拠点

    ART

    2000年、ジュリアン・オピーがブラーのベスト盤ジャケットを手掛け、英国コンテンポラリーアートとブリットポップが融合。同年に写真家として初めてヴォルフガング・ティルマンスがターナー賞を受賞する。そして現代アートの新たな殿堂テート・モダンが開館。現在に至るまでYBAの作家、そして彼らと同時代の重要な作品を数多く収蔵。

    <span>テート・モダン</span>開館

    CULTURE & SOCIETY

    21世紀へ。ブリットポップが一時代を築き、その熱狂は新たな音楽やカルチャーの胎動へと繋がっていく。